外邦図デジタルアーカイブ

外邦図について *

1) 外邦図の由来

 外邦図が作られた経緯については,長岡(1993)によくまとめられている.簡単に言えば,旧陸軍参謀本部・陸地測量部が作成・複製した,日本領土以外の地域(すなわち外邦)の地図(ほとんどが一般図)であり,縮尺は2.5万分の1程度から50万分の1程度までのものが多い.その作成開始は日清戦争開戦前の1888年に遡り,カバーする範囲は,大陸別などの小縮尺編集図を除けば,北はアラスカ,東は米国本土の一部,南はオーストラリア,西はパキスタン・アフガニスタンの一部(ややとんでマダガスカル)に及ぶ.作成方法には,日本の測量隊が公然と測量・図化したもの(軍事占領した地域など),密命により派遣された日本の測量技術者や情報将校が盗測ともいうべき方法で作図したもの(係争地など),および他国の測量機関が作成した一般図を複製したものなどがあるが,いずれも軍事的関心に基づいた秘密度の高いものであっただけに,ほとんど公然の記録が残されていず,作成過程の詳細は不明の点が多い.また,こうして作成された地図の大半は,「秘」,「軍事秘密」,「軍事極秘」等の扱いで,厳重に管理された.あまりにも厳重な定数管理がなされたため,演習等には相当部数の地図が使われたものの,各地の前線でこれらの地図を作戦に使用するという状況ではなかったといわれる.
 そのような使用状況だったこともあり,敗戦時には膨大な数の外邦図が残っていた.それは当然連合国軍に接収される運命にあり,その前に大量に処分されることが予想された.しかし,上述の経緯で作成された外邦図の大半は,19世紀末から20世紀前期の地表景観の忠実な記録として,学術研究・教育その他非軍事的な価値も高いものである.そこで,外邦図の消失や散逸を恐れた何人かの研究者が,その緊急避難を試みた.筆者が承知している限りでは,東北大学理学部に敗戦の年の4月に実質的に開設されたばかりの地理学講座の教授であった田中舘秀三,東京大学理学部地理学教室の助教授で資源科学研究所の研究員を兼ねていた多田文男といった人たちである(土井,1975;中野,1990;岡本,1995).このほか,焼却処分の現場から持ち出された地図類もかなりあったらしい(長岡,1993;竹内,1999).
 田中舘らは,連合国軍進駐を目前にした1945年9月に市ヶ谷の参謀本部を訪れ,許可を得て,同本部および神田の明治大学地下にあった参謀本部分室から,大量の外邦図や国内の地形図を応急整理し,搬出した.新大久保駅近くにあった資源研への搬送には,当時同研究所員であった中野尊正・都立大名誉教授や三井嘉都夫・法政大名誉教授らが携わった(中野,1990および私信).そこに移された地図は1960年前後から,当時同研究所員であった浅井辰郎・元お茶の水女子大教授を中心に整理され,京都大,立教大,広島大,東京大,ルール大,筑波大,熊本大,お茶の水女子大など約80か所に配布された(正井,1999;浅井,1999).
 東北大への応急整理・搬送準備は,当時東北大助手に内定していた土井喜久一(後に静岡大教授,故人)を中心に,岡本次郎(現・北海道教育大名誉教授),福井英夫(後に東北大教授,故人),三田亮一(後に海上保安庁水路部,1952年に明神礁で遭難)ら当時の学生の手で進められ,鉄道貨車1両により仙台まで運ばれた(土井,1975;岡本,1995).その直後に参謀本部を接収した連合国軍も,外邦図を含む大量の資料を持ち出し,うち外邦図類は現在米国国会図書館やクラーク大学,ウィスコンシン大学ミルウォーキー校等に収蔵されているという.

2) 東北大学所蔵の外邦図

 当時仙台・片平丁にあった東北大学理学部に運び込まれた約1万図幅,10万枚の地図のうち,国内の地形図の一部は直後に整理されて地理学の教育や研究に使用された.しかし外邦図は,当初は占領中であったことも関係してか,何となく公開をはばかる雰囲気もあったようで,その後も十分な整理を施す余裕のないまま,教室の移転にともなって学内を転々と移動した.同一図幅が多数存在する場合,一部が学会誌の発送などにあたり,当時乏しかった包装紙の代わりに用いられたこともあると,地理学教室や隣接教室に事務局を置く学会の当時の関係者が漏らしている.
 1994年に至って,長年の懸案であった標本館の建設が決まり,それを契機に地理学教室の教官・学生総動員で,外邦図類が本格的に整理・分類された.外邦図が作成されたという範囲のうち,米国本土のものは1図幅もなく,中国やインド・ビルマ,インドネシアのものが多いが,その地域についても欠図があることがわかった.翌95年10月,青葉山の理学部敷地内に開館した自然史標本館には,目録の完備された外邦図が整然と収蔵され,うちバリ島アグン山,インパール,広東,ホノルル・真珠湾等15面が公開展示された.参謀本部から運び出されてから50年経っていた.その後,国土地理院と岐阜県図書館から依頼があり,広く一般公開することを条件に,外邦図の実物(同一図幅が数部以上存在する場合)やコピー(所蔵部数の少ない図幅)を,前者には約1万面,後者には約8,000面寄贈した.このうち岐阜県図書館に移された外邦図は,他の一般図・主題図類とともに世界分布図センターで公開され,利用者も多いと聞く.また,中国の外邦図を多数所蔵している京都大学文学部地理学教室との間で,互いに欠けている図幅の実物やコピーを交換した.
 これらの結果,収蔵図幅数は12,402面に増え,一方,収蔵部数は7万余枚に減った.この数には,南樺太・朝鮮・台湾等旧領土の地形図,国内の地形図(要塞地帯も図示されている),海図,小縮尺編集図等,外邦図の範疇に入らないものも一部含まれているが,いずれも1945年9月に参謀本部から運び込まれたものである.

引用文献

浅井辰郎 1999:琉球諸島の地形図はどんな経緯でお茶の水女子大学に入ったか.『大正・昭和 琉球諸島地形図集成:解題』,23-26,柏書房
岡本次郎 1995:地理学教室創立の年,『東北大学地理学講座開設50周年記念誌』,66-74,東北大学理学部地理学教室同窓会
小澤知子 2000:国立国会図書館地図室.地図情報,20(1),4-6
竹内啓一 1999:吉崎恵次先生に聞く.正井泰夫・竹内啓一編『続・地理学を学ぶ』,110-127,古今書院
土井喜久一 1975:田中舘先生の思い出.田中舘秀三業績刊行会『田中舘秀三―業績と追憶』,25-26,世界文庫
中野尊正 1990:『山河遠かに』自家版
長岡正利 1993:陸地測量部外邦図作成の記録.地図,31(4),12-25
船戸忠辛 2000:岐阜県図書館・世界分布図センター.地図情報,20(1),13-15
正井泰夫 1999:浅井辰郎先生に聞く.正井泰夫・竹内啓一編『続・地理学を学ぶ』,73-91,古今書院

* これは東北大学名誉教授・田村俊和(2000: 東北大学理学部自然史標本館所蔵の外邦図.地図情報,20(3),7-10)より抜粋し一部に修正を加えたものである.



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